これが私の選んだ道(20) 逸見 佳代さん

第一線引退後は、北海道美深町で
競技の普及に協力


シーズン中は、北海道の美深町で子供たち相手に、競技の普及に務めている逸見さん。競技と子供たちへの思いをうかがった

■3度目の挑戦で、オリンピックのスタートラインに立てた
080728_03.jpgジャンプ台を飛び出し、雪上で繰り広げられるダイナミックな技の数々。14歳だった逸見佳代さんは、リレハンメルオリンピックの中継映像で初めて見た「エアリアル」に、一瞬で心を奪われた。


「この競技でなら、オリンピックに出られるかもしれない!と思いました。5歳から体操教室に通っていて、幼稚園のころは体操でオリンピックに出たいと夢見ていたのですが、中学生のころにはそれは適わないことだと自分でも悟って、体操も辞めてしまっていて…。それでも心のどこかでオリンピックというものに対して、強い憧れを持ち続けていたのでしょうね。体操を続けてきた自分なら、このエアリアルという競技ができるのではないかと、テレビを見ていて突然ひらめいたんです」


すぐさま県のスキー連盟に電話をして「どうしたら(エアリアルを)できますか?」と尋ねた。すると県のスキー連盟を介して全日本スキー連盟につながり、「一度合宿を見に来ませんか?」という誘いを受けることに。そこからはスルスルと事が運んだ。


中学3年で競技を始めてから、3年で日本代表の座をつかみ、長野オリンピックの出場権を得る。だが、大会直前の練習でケガに見舞われ、憧れだった初めてのオリンピックには出場できずに終わった。


さらに不運は続く。「今度こそ長野の分も頑張ろう」と意気込んでいた4年後のソルトレイクオリンピックも、やはりケガで断念することとなったのだ。開会式に参加した後、現地での最終調整中のことだった。


当時は大学4年生。2月のソルトレイクオリンピックに出場したら、大学卒業というタイミングで、競技を辞めるつもりでいた。が、逸見さんはまたもスタートラインに立つことができなかった。


「このままではやめられない」。


悔しさと、周囲への期待に応えたいという思いが、さらに4年後のオリンピック出場へと、彼女を突き動かす。両親の援助とアルバイトで競技の活動資金を捻出し、大好きなエアリアルにとことんのめりこめた彼女は、三度目の正直で、トリノオリンピック出場を果たす。ようやくスタートラインに立ち、競技を行うことができたのだ。


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トリノオリンピックの試合当日は不運にも悪天候に見舞われ、スタート時刻がなかなか確定せず。トップバッターという演技順の不利もあって、本来の力を発揮することはかなわなかった。だが、彼女はようやく憧れ続けた、オリンピックという舞台で、思い切り宙に舞い、自分の演技を披露することができた喜びでいっぱいだったという。


■子供たちが元気に頑張れるような、環境づくりに協力したい


「トリノオリンピックを終え、現役続行か、引退かを考えたとき、強化指定選手として国際大会に出場するのは、もう辞めようと思いました。次のオリンピックに出場できたとしても『4年頑張れば、今度こそメダルに届くのか』と考えてみると、それはかなり厳しいことだと自分で見極めたからです。だったら、ここで区切りをつけようと。エアリアルは好きだから、できる範囲で続けるけれど、今までのようなオリンピックをめざす競技生活は送らない。そう決めました」


日本では女子のエアリアル選手の人口が少ないこともあり、女子種目をなくさないためにも、逸見さんはトリノオリンピック後も国内の大会には出場し続けた。そんな折、開催会場であった北海道の美深町で、新たな出会いが訪れる。全国でも珍しい、町単位でエアリアル選手の育成・指導に力を注ぐ美深町から、後進の指導役として、逸見さんをコーチに、と白羽の矢が立てられたのだ。


「競技の技術などを人に説明することはあまり得意ではないし、そもそも『指導者になりたい』という発想もなかったので、最初は迷ったんです。でも、私がスポーツを通して学んだことや、感じられた楽しさ、目標設定の仕方などを、そのまま子どもたちに伝えられればいいのかな、それならば自分にできることもあるかもしれないと思って引き受けることにしました」


指導を始めてみたら、思わぬ発見もあった。


うわさには聞いていた今の子供たちの体力不足を、美深町でリアルに実感することとなったのだ。「少し前の子供ならあたりまえにできていたようなことを、なかなかうまくできない子供がけっこういて、びっくりしました。これで日本は大丈夫なのだろうかと、私ですら危機感を持つようになったんです。体力低下が著しい子供たちに、何か自分にもできることがあるのではないかと思うようになりました」


この冬で“コーチ生活”も二期目を迎えた。「冬の間の指導だけではなく、年間を通して町で働いていただくこともできますよ」という話もいただいたが、逸見さんは「オンシーズンはエアリアルを教え、オフシーズンは実家に帰って、選手時代にはできなかった、やりたいことをいろいろと実践している」という。


「子供たちにスポーツを教えることは楽しいのですが、オリンピック選手の育成に関わろうとは思っていません。でも、子供たちの中に『オリンピック選手になりたい』と思う子がいて、熱心に何かを求められれば、私がやれることは何かしてあげたいと思うかもしれませんが…。美深町では、いろんな小学校を回って、道徳の授業などでオリンピックの話もしています。私の体験談などを通して子供たちが少しでもオリンピックを身近に感じてくれたらいいなと。目標を持って頑張れば、夢はかなえられる可能性があるんだということを伝えたいし、子供たちが元気に、前向きにがんばっていけるような環境づくりに自分も何かのかたちで関わっていけたらと今は考えています」


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【プロフィール】
逸見 佳代(ヘンミ・カヨ)
1979年山梨県生まれ。14歳のときに、リレハンメルオリンピックで見たエアリアルに感動し、競技を始める。96年にナショナルチーム入りし、98年長野オリンピック代表に内定したが、ケガで出場辞退。02年ソルトレイクオリンピックの代表にも選ばれたが、現地トレーニング中に右膝靭帯損傷、大会への出場を果たせず。山梨学院大学卒業後、04年のシーズンに復帰し、06年マウントガブリエールのワールドカップで自己最高8位入賞して、06年トリノオリンピックの出場を果たした。その後、第一線から退き、エアリアルの普及活動のため、冬季のシーズン中は、北海道美深町で子供たちに指導を行っている。