自分の経験を伝えることで
スポーツ人口を増やしたい
引退後「自分の経験」を人に伝え、
役立てる効果的な方法はないか模索
シドニーオリンピックで銀メダルを獲得し、一躍脚光を浴び始めた女子ソフトボール。そのピッチャーとしてチームの牽引役を果たしたのが石川多映子さんだ。
「オリンピック後、日本リーグで各地を回ると多くの方々が応援にきてくれて。一見スポーツに興味のなさそうな高校生もいて。こういう子たちも心を動かされて試合を見にきてくれたのかと思うと感動でした」
小さいころ、人見知りだった性格を改善するために始めたソフトボール。それによって物怖じしないこと、やりぬく強さ、人とのつながりなどを得て、すべてをいい方に変えられたと石川さんは語る。この体験をもっと多くの人たちに伝えることが役割ではないかと思い始めたのは、現役引退後。
試合を応援にきてくれた人たちの顔を浮かべながら、どうしたらこれまでの体験を人のために役立てることができるかと思いあぐね、方法論はすぐにみつからず、不安になることもあった。
大平町をベースに
スポーツ振興活動の場を広げたい
退職から2カ月間の休養期間中、講演依頼が舞い込む。「こんな方法でも『人に伝える』ってできるんだ」と気づいた矢先、地元役場からも町の行政を通してスポーツ振興に携わってみないかと誘われ、まずは臨時職員に。
「平日は事務を中心に役場の仕事。土日は小中学生へのソフトボールの指導、学校や老人会への講演会などに出向きます。どちらも町の人たちとの触れ合いがあり、それが楽しい」
中学生の指導では、ピッチングやトレーニングの方法、食事のとり方などの指導に加え、メンタルケアも行う。対話の中から気づきや発見をし、成長するのを目の当たりにできた。
「将来的には日本のスポーツ人口を増やすのが夢。ソフトボールじゃなくて、ほかのスポーツでもいい。人と人の、地域も年代も超えたコミュニケーションの輪を広げ、出会いの場を増やす手助けをしていきたいんです」
勤め先の大平町役場を基点に、講習活動なども通して、その実現にまい進する日々だ。
現在に至るまでの軌跡
1994年
この年、日本リーグ新人賞を受賞。96年、アトランタオリンピック選考では惜しくも代表補欠となる
2000年
シドニーオリンピックのアメリカ戦(予選リーグ)で8回1/3イニング156球を投げ、アメリカ連勝記録を112で止め、銀メダルを獲得
2002年
日本女子リーグMVP受賞(00年)後はヒザの故障など苦難もあったが、この年の日本リーグでは先発登板。シーズン終了後、12月に現役引退
2003年
1月に退職後、3月-翌年4月まで大平町役場・生涯学習課スポーツ係に臨時職員として就労。現在は準公務員として体育協会職員を務める
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【関連リンク】
●石川多映子プロフィール
(元所属チーム日立ソフトウェアの公式サイト)
【プロフィール】
石川多映子(イシカワ・タエコ)
1975年、栃木県生まれ。小学4年からソフトボールを始め、白鴎大学足利高等学校に進学。94年より日立製作所ソフトウエア事業部に入社、日立ソフトウエアに所属し、同年日本リーグ新人賞を受賞。00年シドニーオリンピックではピッチャーとして活躍し、銀メダル獲得。同年、リーグ初制覇。03年現役引退後は、地域スポーツの指導に従事。
*JOC発行の「キャリアトランジションvol1」(2004.11発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。
(取材:2004年9月)