現役選手のうちに、多くの子供たちに
夢を見るすばらしさを伝えたかった
子供たちがトップ選手と会えたら
強く印象に残ると思うんです
日本代表としてオリンピックに出たいと、3度チャレンジしたが、夢は叶わなかった。
「ならばその夢を子供たちに託したい」と佐古賢一さんは思った。引退して指導者になる前に、現役選手として第一線でプレーしている今だからこそ、できることがあるのではないか。そう考えたとき、シーズンオフにクリニックや講演会に出向いて、子供たちと直に接したいという気持ちが膨らんだ。
「技術がどうということはよくわからなくても、日本のトップ選手を近くで見たり、話をしたりすると、かっこいいなぁとか、見た目よりやさしい人だなとか、強い親近感とあこがれの気持ちが生まれるんです。ちょっと知り合いになった選手の試合を見るたびに、さらに熱も上がって行く。今のうちに子供に強い印象を残しておきたかった」
試合のない日、佐古さんは忙しく全国を飛び回っている。
本気で取り組むために会社を設立
子供たちとオリンピックで戦いたい
活動を行うために、あえて自分で会社を設立した。「リスクや責任を背負って、仕事として本気で取り組みたかったから」。クリニックなどのオファーがくると、引き受けた以上は、参加する子供たちにとって最高の機会にしたいと、妥協もせずに先方と意見を戦わせることも少なくない。
「収支の管理や、交渉ごとに関わってみて、自分がいかに競技しかしてこなかったか、社会の仕組みを知らなかったかを痛感した。採算を上げながら、内容も濃いイベントにする。経営を通して得るものは大きいです」
佐古さんにもお子さんがいる。日ごろの経験から、クリニックにきた子供たちとは、話しやすいように同じ目線で談笑。その一方で、時には厳しく叱ることもあるという。
「経験豊富な大人をなめてはいけない、チームプレーとは何かを教えることも大切です」
子供たちに伝えたい思いは「夢は自分を捨てない。自分が夢を捨てるんだ」ということ。
大人になった彼らを率いて、いつか世界で戦ってみたい。それが今の佐古さんの夢だ。
現在に至るまでの軌跡
1998年
全日本入りして9年目に、世界選手権ギリシャ大会出場を果たす。日本男子バスケットボール界にとっては、31年ぶりの快挙
2002年
いすゞ自動車が廃部となり、現在所属しているアイシン精機へ移籍。同時にプロ選手として登録することに。また有限会社「ZON」を設立。子供たち向けにクリニックなどを積極的に開始
2003年
全日本を辞退。アイシン精機で全日本総合選手権、JBL SUPER LEAGUEを制覇。個人では8年連続リーグのベスト5に選ばれる
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【関連リンク】
●佐古賢一公式サイト「sakoken.net」
【プロフィール】
佐古賢一(サコ・ケンイチ)
1970年神奈川県生まれ。北陸高校時代、インターハイで全国制覇。中央大学に進み、20歳から全日本入り。卒業後はいすゞ自動車で、日本リーグ2年連続MVP。チームは優勝の常連に。全日本では司令塔としてチームを率い、世界選手権に出場して14位。02年所属チームが廃部となり、アイシン精機へ移籍。同時にプロ宣言し、プロバスケットボールプレーヤーに。
*JOC発行の「キャリアトランジションvol1」(2004.11発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。
(取材:2004年8月)