NPO法人を設立し
健康スポーツ面で社会に貢献
将来の仕事を考え
健康関連の資格を取得
高校2年から競歩を始めた酒井浩文さんは、地元の消防組合に就職後も、24時間2交代制という仕事のかたわら、競歩の練習に打ち込んだ。21歳の時5000m競歩で日本新記録を出し、23歳でソウルオリンピック出場。仕事と競歩という2本柱の生活が続いた。
「試合に出たいと言えば、職場は柔軟に対応してくれたし、講演会を結成するいほど、地元の人々は温かく見守ってくれました。とはいえ、公務員の身で甘え続けるわけにもいかない。それにもっと練習して強くなりたいと思うようになり、退職を決意しました」
昼間練習できる環境をつくるため、大学の夜間部に入学し、卒業後は大学職員として勤務。この間、将来を見据えて健康運動指導士などの資格を取得した。
そして97年、家族とともに、両親の待つ長野県豊丘村に戻ることとなる。
理念に賛同してくれた仲間と
ウォーキング・健康スポーツの普及活動
少子高齢化の進む故郷でなにができるか。
「競歩を続けたかったからサラリーマン勤務は無理。それで、リスク覚悟で独立の道を選びました。自宅に個人事務所を構え、講演や講習、実技指導などを引き受けることにしました」
帰郷する前年から市役所や役場などに相談していたことが功を奏したのか、徐々に住民を対象にした運動指導などの依頼が来るようになる。キャリアを生かしつつ応援してくれた地元に恩返しのできる仕事にやりがいを感じた。そして簡単な指導やアドバイスを加えるだけで、運動することの喜びや心地よさ、健康の高まりを認識してもらえることを知る。
5年後、信用を得てもっと社会に貢献できる組織にしたいと、NPO法人「オウルプロ」を設立。現在、オウルプロには理念に賛同した競歩選手やOB、大学生など全国から約50人が集まり、各地に出向いてウォーキングや健康スポーツの普及活動を行っている。
「個人では限界があっても、仲間がいれば可能になる。今後も一人でも多くの人にウォーキングやスポーツの魅力を伝えていきたいと思います」
現在に至るまでの軌跡
1990年
7年間勤務した飯田広域消防組合を退職。
存分に練習できる環境を整えたいと、国士舘大学政経学部2部に入学する
1994年
大学卒業後、3年間の期限付き職員として同大学に採用される。
現役競技者・陸上競技部コーチとして競歩の研究をする
1997年
アジア大会出場を最後に帰郷。
役場や地元の後援会などの協力を得て、徐々に健康運動指導士の仕事を始める
2002年
9月「オウルプロ」設立。一般の人を対象にした健康づくりのためのウォーキング教室やクラブ運営のほか、ジュニア競歩選手の育成にも力を注いでいる
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【関連リンク】
●NPO法人ウォーキング普及協会
オウルプロ公式サイト
【プロフィール】
酒井浩文(サカイ・ヒロフミ)
1965年長野県生まれ。高校卒業後、飯田広域消防組合に勤務する。88年ソウルオリンピックに出場、89年アジア選手権で優勝。25歳の時に国士舘大学へ入学、卒業後は同大学でコーチを務める。97年帰郷し、ウォーキング指導を中心に、講演、イベントなど、健康づくりにトレーナーとして活躍する。
*JOC発行の「キャリアトランジションvol1」(2004.11発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。
(取材:2004年8月)