今は好きなことをやり尽くしたい
そうすれば次の道は自ずと見えてくる
中途半端な生き方はしない
決断は常に、自分自身で
「私はどうしたいの? 何がやりたいの? 何を目標にするの?」と、常に自分自身に問いかけ、納得しながら、現役生活を送ってきたと三宮恵利子さんはいう。だから、引退を決意したときも、自身と対話して結論を出した。
「まだスケートを続けたいの?」「辞めたい。もうやるべきことはやった」「コーチになりたいの?」「今、コーチになったら自分のやり方を押し付けてしまったり、相手にじれてしまうのではないか。ずっとスケート漬けだった生活からいったん離れて、外からスケートを見てみたい」
引退後はまず実家に帰ろうとだけ決めた。だが思わぬ人からレースをやってみないかという誘いを受ける。選手時代に応援してくれていたメーカーの方だった。
富士スピードウェイなら見たことがあった。路上と氷上、車と生身の体という差はあっても「スピードが好き、競うことも好き」な自分には、合っているかもしれないと思った。未知の世界への挑戦。競技者魂がときめいた。
先のことを考えすぎず、1年1年
様々な経験を積んでいきたい
「レーサーで食べていこうと考えたわけではありません。辞めて1、2年は好きなことをやりたいなって。辞めて1、2年は好きなことをやりたいなって。レース経験はなかったですけど、動体視力はよかったし、左カーブならスケートと同じなので攻めやすかった。いつか表彰台にと狙ってもいますが、スケートをしていたときのように、心身を極限まで追い込んだりはしません。楽しくやりたいんです」
スケートの実績を買って、スポンサーになってくれた企業もあった。が、パーソナルスポンサーは自分で営業して集めている。
「レースのことなどを説明して、出資をお願いするんです。最初はとても緊張しました」
レース以外の仕事も増えてきた。関連のイベント、トークショー、それとは別に元スケート選手としてテレビに出演したり、クリニックで子供たちを指導することも。
「今はやりたいことがたくさんある。あまり先のことは考えすぎず、1年1年を考えていきたい」
様々な経験を積むことが、新鮮な毎日だ。
現在に至るまでの軌跡
2002年
春 ソルトレーク冬季オリンピック出場後、「競技を続けるならオリンピックをめざしたいが、トリノまで、ハードな練習に耐えられないと思う」と、自分で引退を決断
夏 誘いを受け、1000ccのヴィッツに乗車して競い合うという、カーレースに参戦。 7月に北海道で行われた「ネッツカップ・ヴィッツレース」の公式予選でデビュー
2003年
地元・釧路の実家から十勝のスピードウェイに通ってドライビングの練習。レースに出場しながら、テレビ、雑誌などの仕事もしている
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【関連リンク】
●三宮恵利子オフィシャルサイト338.com
【プロフィール】
三宮恵利子(サンミヤ・エリコ)
1974年北海道生まれ。小学4年生のとき、アイスホッケーからスピードスケートに転向。共栄中学時代に500、1000mで全国優勝。釧路星園高校でも活躍後、93年富士急行に入社。98年の長野冬オリンピックに出場。01年の世界スプリント選手権では総合2位。02年ソルトレーク冬季オリンピックでは日本選手団の旗手を務めた。
*JOC発行の「キャリアトランジションvol1」(2004.11発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。
(取材:2004年8月)