新しい道を切り拓くには(7) 竹節 佐貴子さん

オリンピックに出られなかったからこそ、
頑張って国家試験に受かることができた


takehushi1.jpg長野オリンピックの最有力候補だったのに、直前の選考レース中に不運にも転倒。そのショックで銃が壊れ、バイアスロン選手だった竹節佐貴子さんの夢は一瞬のうちに消えた。不完全燃焼のまま、引退。実家のある長野に戻った。


―― 一時はかなり落ち込まれたそうですが…。


「それまでスキーしか知らなかったので、これからどう生きていけばいいかと途方に暮れてしまって。そんな時、以前知人から聞いた四国遍路のことを思い出したんです。強い信仰心があったわけではないのですが、とにかくどこかへ逃げたくて、人生をゆっくり見直す機会がほしかった。1か月ほど歩きましたが、歩くほどに新陳代謝が良くなって体が浄化され、旅先での出会いに心も温くなりだいぶ元気になれました」


――次の目標は見つかったのでしょうか。


「すぐにはムリでした。実家に戻り、テレビでアスリートのドキュメントを見ていたら、自分と比べて落ち込んでしまって。長野にいたら、オリンピックから抜け出せないと思って上京しました。漠然と“体にいいこと”への興味はあったので、まず“自然食”の勉強をしようと。玄米とか菜食主義とか、体にいい料理を出すレストランを食べ歩きました。さらにアロマテラピーとリフレクソロジーの講習会に行って、資格を取得。それを競技者のために生かせないかと思ったんですが、資格はどれも民間資格で。もっと世の中のどこでも通用する知識や資格が必要と思い、鍼灸師の学校を受験したんです」


――強化選手という経歴は有利になるのでは?


「私も面接のときなど有利かなと甘く考えていました。見事な準備不足で一校めは落ちました。それで奮起して、毎日8時間猛勉強して、無事合格。そのころには貯金も使い果たしていましたから、育英会の奨学金を利用し、昼間は接骨院で働いて、夜は学校という生活を3年間続け、国家試験も一発で合格しました。競技者は、目標さえ決まればあとは一直線にがんばれるんだなぁと、失っていた自信を少し取り戻せました」


――選手を治療するようになったんですか。


「それが、選手にはこだわらなくなったんです。どんな方でも治療を受けて、ホッとした姿で帰られるのを見るのがうれしくて。結婚して、子どもが生まれて、一度にあれこれできないもので、今は子育てに専念してます。国家資格があればいつでも再開できる仕事なので、やはりこの仕事を選んでよかったと思います。興味がありそうなものは片っ端から経験してみたからこそ、これだと思う仕事を見つけられました。経験してムダなことなど一つもないと思います」

 

どん底から這い上がってやりたいことを見つけた
g_takehusi.jpgオリンピックの落選は大きな挫折でした。でももし出場できていたら、もっとのほほんとしてしまったり、次のことを始めるときに体面ばかりを気にしてしまっていたかも。競技しかできないと思っていた私がこんなに猛勉強できたことも驚きでした。国家試験に合格したときは本当に嬉しかった。人間やればできる!


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【プロフィール】
竹節佐貴子(タケフシ・サキコ)
1970年長野県生まれ。クロスカントリースキーを10歳から始め、高校卒業後、北野建設に入社。ナショナルチームメンバーとして活動。94年バイアスロン選手に転向。世界選手権、ワールドカップに出場。99年東洋鍼灸専門学校鍼灸本科入学。02年あんまマッサージ指圧師。鍼灸師国家資格取得。既婚。現在は育児中。

*JOC発行の「キャリアトランジションvol2」(2005.3発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。


                                                (取材:2004年12月)