アフガニスタンでの体験が、自分をたくましく、鍛えてくれた
赤石光生さんにとって5回目のオリンピックは、アフガニスタンのコーチとしての参加となった。内戦が続いて疲弊した国の、復興の一助になればと、アジア大会前にも同国のコーチに派遣された経験がある。だが現地は受け入れ態勢が十分でなく、悪戦苦闘の連続だったという。
――意義深い支援活動だと思うのですが、現実はかなりご苦労が多かったのでしょうか。
「初めて赴任した2年前は、現地に着いてから、自分で交渉したことが思いのほか多かったですね。言葉も通じない中で、自分で生活環境を整え、指導についても選手とケンカを繰り返しながら、何とか使命を果たしたという感じでした」
――日本との文化の違いにとまどわれたとか。
「選手がすぐ練習を休むんですよ。日本みたいに長時間の練習に耐えられない。肉を食ってないからできないというので、ごちそうしようとしたら、安易にお金を出してはいけないと叱られたり。でもアジア大会のときは最後にスタッフも選手も泣いてくれて。なぜ自分がきついことを言い続けて、ハードな練習をさせてきたのか。試合後にわかってくれたらいいなと思っていたのですが、少しは通じたんでしょうか。自分も人としてずいぶん鍛えられました。ままならないことばかりでしたからね」
――アテネから戻られてからは、給茶機の営業をされているそうですが。
「選手時代から今の職場で働いていました。レスリングに対してとても理解のある会社なんです。大学の教員という道も考えていたのですが、その仕事の話をいただいたときは競技を辞めなくてはならず、現役続行したかったんで、今の会社にお世話になりました。現役を退いてからは、本格的に仕事に専念しましたが、あるとき“自分はレスリングがしたくて、上京したのではなかったのか”と、立ち止まってしまって…。それで、このままでは悔いが残るからと、JOCの指導者海外研修を利用して、アメリカにレスリングの指導の勉強に行こうと決心しました。日本にいたら、思い切って状況を変えられないんじゃないかと、会社に辞表を出したんです」
――1年留学されて、帰国後は日本代表チームの強化コーチに就任されました。
「結局、会社のほうも留学中の期間を休職扱いにしてくださって。シドニーオリンピックのあとも、アフガニスタンに行ったり、ギリシャに行ったりして、また休んでしまいました。さすがにこの先はもう休めません。平日はしっかり働き、土日は好きなレスリングに、ボランティアでもいいから関わり続けていけたら幸せです」
レスリングと会社の仕事を両立させながら暮らしたい
とにかく根からレスリングが好きなので、現役を引退して、レスリングと無縁の生活を送ろうとしていた時期はしんどかったですね。多くの人に助けていただいて、仕事を続け ながら、結局、レスリングに近いところに今はいます。
アフガニスタンでの経験もまた、自分をたくましくしてくれたように思います。
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【関連リンク】
●所属のジャパンビバレッジのレスリング部 公式サイト(赤石さんはコーチ)
●日本レスリング連盟公式サイト アフガニスタンの コーチを務めたことに関する特集記事
【プロフィール】
赤石光生(アカイシ・コウセイ)
1965年青森県生まれ。オリンピックは、日本大学2年のときにロサンゼルス大会銀メダル、88年ソウル大会4位、92年バルセロナ大会銅メダル。米国留学を経て、2000年シドニー大会は日本代表コーチ。04年アテネ大会ではアフガニスタン代表コーチに。選手時代から現在も、ジャパンビバレッジに勤務。
*JOC発行の「キャリアトランジションvol2」(2005.3発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。