アテネオリンピックを見て刺激を受け、
再度、世界の頂点を目指すことを決意
アテネオリンピック・体操での日本男子チームの活躍に刺激を受け、エアロビック競技の国際舞台への本格的な挑戦を決心したという、田中光さん。2004年10月の全日本選手権でペア部門2位となり、2005年4月に愛知万博会場で開催される、世界選手権の出場権を得た。
――後輩選手たちの金メダルで、田中さんの心の何かに、火がついてしまったんでしょうか。
「そうなんです。“選手をしていたころのあの緊張感をもう一度味わいたい”“妥協が許されず、ごまかしのきかない舞台にもう一度立ちたい”と願う気持ちが高まり、それを実現するには、今しかない、ラストチャンスだと思ったんです。正直なところ、まだ世界で十分に戦えるほどの体は出来上がってはいませんが、今年中にはしっかり作り上げたいと思っています」
――現在はエアロビックが生活の主軸ですか。
「いえ、講師の仕事や研究のほうが主な時間を占めています。まずは仕事をきちんとやったうえで、時間を最大限有効に使って“挑戦”を楽しみたいと思っています。練習は夜遅くにもなるし体はきついですけど、自分のためにやりたいことをやっていると、充実感があります。練習は集中力がすべて。練習時間は減りましたが、体操選手時代より、気持ちの切り替えはうまくなったかもしれません」
――体操をお辞めになったときは、どんなふうに自身の進路をお考えになったのですか。
「体操以外のことを何もしてこなかったので、まずは人としての幅を広げたいと思いました。それで興味のある仕事の依頼がきたら、臆せず引き受けてみようと、スポーツキャスターをさせていただいたこともあります。一方で、体操で難易度が高いと言われる技を、どうしたら習得できるかなど、体操という競技のメカニズムを分析し、研究したりもしていました。」
――短大では幼児教育科の講師を務めています。
「体操を教えようとしたとき、幼児にはむずかしい言葉では伝わらず、トータルで物事を大きく教えないと理解してはくれません。そんな幼児がどうやって技を習得していくのか。そこに体操の原点があるのではないかと思ったんです。幼児の生活、体力、環境などを勉強することで、得られるものが大きいと。幼児だけでなく、お年寄りの方が自立した生活を送るのに必要な機能を、低下させないための体操なども考案しています。教科書を執筆したり、DVDを製作したり。やりたいことが形になっていくのを見ることは、うれしいものです。そして今、経験していることを、いつかは体操やエアロビックの指導者として生かしていくことを、最終的な目標と考えています」
やりたいことがカタチになるまでは、我慢の時期
アトランタオリンピックの後、いろいろなことをやってみたんですが、自分が何をしたいのかわからず、自由になるお金や時間が増えても、それをどう使ったらいいものか、困ってしまった時期がありました。それでもやりたいことを続けていたら、少しずつそれがカタチになり、同時に仕事に手ごたえが出てきました。
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【プロフィール】
田中光(タナカ・ヒカル)
1972年和歌山県生まれ。中学時代から全国大会で優勝。筑波大卒業後95年、世界選手権団体で銀、ユニバーシアードでは金メダルを獲得。アトランタオリンピックに出場するも、チームメートの故障もあり団体は10位に。現在は洗足学園短期大学・専任講師。エアロビックでは湘南SAJクラブに所属。 *JOC発行の「キャリアトランジションvol2」(2005.3発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。
(取材:2004年12月)