新しい道を切り拓くには(3) 田中 茂さん

海外研修制度を生かせるかは、自分次第。
絶対に次につなげるという覚悟で臨みました


tanakasi1.jpg日本リーグの観客動員数の増加などを具体的な目標に掲げ、日本リーグ機構のゼネラルマネージャーとして、改革に取り組んでいるのが田中茂さんだ。“選手は試合後、30分は会場に残ってファンサービスに務めること”など、できることから実践し始め、成果も上がってきている。


――今の仕事に対して特別な思いはありますか。


「アテネオリンピックに男女とも行けなかった球技はハンドボールだけ。強い危機感を持っています。支援企業が撤退しないように、また日本代表を強くするためにも、リーグをさらに充実したものにしなければならない。今まで以上に会場に観客を集められれば、選手のモチベーションも上がり、競技に対する意識もより高くなるのではないかと。元選手の自分が現場で感じていたこと、今の選手の意見なども聞きながら、顧客満足度の高いリーグ運営を実現したい」


――リーグの活性化を推進するために、JOCの海外研修制度への参加を志願したのでしょうか。


「いえ、当時はナショナルチームの監督やコーチになりたくて、強豪国スペインで勉強したいと考えていました。33歳のとき所属していた企業チームが廃部となり、それを機に現役からの引退を決めました。社員として会社に残れば安定した生活は送れましたが、ハンドボールとは無縁になってしまう。いつかは指導者にという気持ちがあったので、それなら思い切って会社を辞めて、“まず海外を見て、海外から日本のハンドボールを見てみよう”と考えたんです」


――ご家族を伴って、2年もの間、日本を離れることに不安はありませんでしたか?


「妻は応援してくれました。それで子供も連れて家族で渡航したんです。2年間で何をやってくるのか、何を身につけられたかで、その後の道は開けると信じていました。海外に行っても何かが与えられるわけではない。現地でどれだけ次につながることを習得できるかは、自分次第。自分は絶対にやってやろうと思ってました。JOCの研修制度なので帰国後に、競技団体へ貢献することを期待されてはいましたが、具体的な仕事の確約はありませんでした。でもすぐに希望の仕事に就けなければ、これをやると決めた仕事で1番になればいい。そんな気持ちで働くのであれば、どんな仕事でもやりがいがあるだろうし、恥ずかしくないと思っていましたね」


――指導者になりたいという志向は今も?


「監督の仕事もリーグの仕事も、日本のハンドボールを強くしていくために必要な、マネジメント業務の一環ではないかと今は考えています。ハンドボールというこの魅力的な競技を、もっとたくさんの人に楽しんでもらえるように、広めていきたいですね」


常にポジティヴなので、落ち込むのは一瞬です
g_tanakasi.jpg「最初からうまくは行かなくても高い意識を持てば必ずできるようになる」と競技を通して学んだ。だから常にやりたいことに向かって、全力で取り組んで、充実しています。
人生計画はありますが、まずは1年、1週間、1日、1時間を精一杯。自分がここまでやってきたというラインは、下げないで生きていきたい。


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【プロフィール】
田中 茂(タナカ・シゲル)
1967年長崎県生まれ。筑波大学在学中に、学生の日本代表として活躍。卒業後、90年に三陽商会に入社。日本代表として91、93年アジア選手権、94 年アジア大会、95年世界選手権出場。01年に現役引退後、JOC指海外研修制度により、技術及び指導法習得のためスペインに2年間滞在。日本ハンドボールリーグ機構勤務。              *JOC発行の「キャリアトランジションvol2」(2005.3発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。