競技者時代に養った自立心を糧に、カフェをオープン
アトランタオリンピックの5000メートル決勝で、当時の日本記録で4位入賞を果たした志水見千子さん。周囲からはマラソン転向を促されたがあえてトラックにこだわり、4年後のシドニーオリンピックで競技人生をまっとうした。
その後、新しい夢を追うことになった志水さんは、この春、念願の自分の店をオープンする。
――自分のカフェを開くなんて、素敵ですね。
「所属企業を辞めたとき、妹も新しいことを始めたがっていて、それなら二人でという話になりました。9つ年下の妹には若さと勢いがあったんで、それに乗ってしまおうかと。妹がニュージーランドで何かを探してくるというので、私はその間、大学で中・長距離のコーチをしました。自分のやってきたことが、まだ感覚として残っているうちに、選手に直接それを伝えたいという気持ちがあったんです。1年務めた後、いったん実家に戻ったら妹が帰って来て、留学先のカフェで飲んだコーヒーがすごく美味しかったというんです。私もかなりコーヒーは好きなので、それならカフェをやろうかと」
――甘いもんじゃないよと、反対もあったとか。
「専門的な勉強もせずに、憧れだけで開店しても失敗するよと心配する人もいました。でも選手のころから、ああしたほうがいいとか、いろいろ言われることには慣れてましたから、揺らぐことはなかったですね。走るのは自分。結果を負うのも自分。ならば、やりたいことをやる。やってみなければわからない。それは昔も今も変わりません。自分たちなりに勉強はしましたし、実家の近くに小さなカフェを開いて実践練習も積みました。3年かけてあちこち物件を探し続け、関東に照準を絞ってからは、土地勘を養うために50駅くらいを回り、1年がかりでかなりの物件を見たうえで、今の場所に決めました。自分たちの足で探したという感じです。
――資金もそれなりにかかるのでは?
「そんな立派なカフェではないですから。特別なことはしてません。選手時代は寮生活だったので、生活費もあまりかからなかったのでコツコツ貯金していたのが役立ちました。私がオリンピアンだと聞いた建築会社の社長さんが“自分もサッカーをやってたから、元選手を応援したい”と安くしてくれたのもラッキーでした」。
――それでもまだ、指導したい気持ちもある?
「今も走っているんですよ。タイムに表れない感性のようなものを忘れないために今ならまだ伝えられるんじゃないかと。カフェは妹に任せて、自分に指導を任せてくださるところを探しています。まだまだ、走り続けますよ」(写真は2006年1月)
2度めのオリンピックでは成績以上のものを得た
アトランタには勢いで行きましたが、シドニーはめざして行きました。その両方を経験できたことが財産になりました。アトランタ以降の4年間は、自分の意志を通して過ごすことができた。それが今の私を支えてくれています。自分の店を持てば、やりたいようにできるのも楽しいかなと。のんびりできるお店にします。
![]()
【関連リンク】
●FUN☆COME公式サイト
【プロフィール】
志水 見千子(シミズ・ミチコ)
1970年京都府生まれ。網野高校を卒業後、89年にリクルート入社。96年のアトランタオリンピック5000メートルで4位入賞。95、99年の世界選手権、00年のシドニーオリンピックにも同種目で出場。01?02年京都産業大学陸上部女子長距離コーチ就任を経て、05年4月、横浜・港北ニュータウンにカフェ「FUN☆COME」をオープン。現在はランニング講習会なども実施。
*JOC発行の「キャリアトランジションvol2」(2005.3発行)をWEB用に改稿して、掲載しています。